海外および国内での視察を基に、「多種大量」「内外長短」いずれにも対応できるフレキシブル性の高い近代工場の建設に着手。国道1号線沿いに約5,000坪の土地を確保しました。
昭和41年には、最新の設備を揃えた工場が完成し稼働を開始。さらに水面貯木場も設置し、時代に先駆けた近代工場でした。
昭和42年から43年にかけ、静岡縣護國神社の大鳥居用として、中山社長(初代)がヒノキ材を献木しました。それは社会貢献の一つとして行われたものでした。
昭和46年、取引先の大工さんを中心に木材や建材の共同購入・共同販売を狙いとした住宅建築の株式会社FF住宅の設立を主導。地場のトップブランド住宅をめざす道のりの始まりでした。